ルチアーノ・パヴァロッティ=オペラの話題になると、誰もが知っている名前。
オペラに詳しくなくても、知ってる人は多々。
特にサッカーファンなら、絶対知ってる…
と思う(笑)。
ルチアーノ・パヴァロッティ:
イタリア人オペラ歌手、
テノール、
キングオブハイ
(このニックネーム、マイケル・ジャクソンのKing Of Popとごっちゃになるのは、世代のせい?)
人なつっこい笑顔、燕尾服を着て、白いハンカチを握りしめ、ボノやエルトン・ジョンとも仲良しで、亡きダイアナ妃との交友も有名なパヴァロッティ。
6月7日にアメリカで一般封切されたドキュメンタリー『パヴァロッティ』は、フォレストガンプや、アプロ13の監督、ロン・ハワード監督の作品。
こんなオペラとは無関係の監督が、パヴァロッティのドキュメンタリーを作るのが不思議でした。
でも、監督は、”敷居が高い”といわれるオペラのジャンルを超えての人気アーティスト、パヴァロッティに興味をもったのだとか。
パヴァロッティという名前と、彼の驚異な声を世界中にとどろかせたのは、1990年7月、ローマのカラカラ浴場で行われたワールドカップ前夜祭コンサート。
私も実は、オペラを真剣に聴き始めたのは、このコンサートがきっかけかも。
当時イギリスに住んでいた私は、ダイハードサッカーファンの友人につられて、普段の会話はもちろん、その夏はサッカーにどっぷりでした。
普段は、友人のサッカーの試合見に行っても、寝てたのに(笑)
今考えれば、ワールドカップ史上にとって(良くも悪くも)、すごい年だったんですよね。
1990年ワールドカップ
西ドイツ対アルゼンチンの決勝での、マラドーナのマジックハンド!(笑)
まだ冷戦時代で、西ドイツと東ドイツチームがあって、
フットボールフーリガンという言葉が新聞で話題になった、イギリス人の喧嘩群?は、電車に乗ってイタリアまで暴れに行ってたそうです(;^ω^)
ワールドカップがオフィシャルにTV中継された(ハイデフで)初めての年
そして
「Nesseun Dorma 誰も寝てはならぬ」 が ワールドカップのテーマになり、このアリアが独り歩きし始めた年。
「敷居が高い」、とか「難しい」とか敬遠されてたオペラが、多くの人の注目になった年。
このワールドカップの前夜祭コンサートの後、テレビでもラジオでも、パヴァロッティの歌う「Nesseun Dorma」が聞こえ、
大学のお昼休みに、よくふらふら出かけたHMV(レコード屋さん)のトップ10にいきなり、Three Tenor(3大テノール)コンサートのアルバムが。
で、ビデオテープを購入。←DVDは未だ無い時代。
そのあと、結局カセットテープも買ったけど(笑)← CDは高級品
シンガーとしてのパヴァロッティは、敷居が高いと思われているオペラを、一般に紹介したことが、一番誇りだったそう。
オペラの商業化。
なんと、イギリスのトップチャート番組、「Top of the pops」にもあがっちゃって。(出演はしなかったけど)。
ここから、パヴァロッティのジャンルを超えた名声と商業的大成功が、スタート。
私の勝手な感想。
この映画は、オペラシンガーとしてのパヴァロッティを深く語るよりも、一人の人間としてのパヴァロッティに注目を当てているらしい。
その割には、結構さらっとしてて、もう一歩突っ込んでほしかった。
(いや、あと10歩ぐらい、突っ込んで欲しい(笑))
オペラファンとしては、オペラシンガーのパヴァロッティに焦点をもっと当てて欲しかった。
彼の最高潮時代、そして、不調の日々、避難を浴びたりしながらも、誰よりも愛されていたテノールとしてのプレッシャー。
オペラの舞台よりも、コンサートを好んだ理由など、掘り下げて描いて欲しかった!
インタビューを受けてる、ドミンゴ、カレーラス、メータは、納得の選択。
でも、アンジェラ・ゲオルク(もいいけど)よりも、
幼馴染で、舞台のパートナー的存在だったミレッラ・フレーニとか、
同じ時代に活躍してマリリン・ホーンとか、
一緒に舞台を踏んだサミュエル・ラミーとか(この辺急に個人の好みですが)、のインタビューが聞きたかった。
数日前にFBで、アメリカ人ソプラノのデボラ・ボイトのずいぶん前に掲載された雑誌(?)のインタビューを見かけました。
「あなたは1997年にドミンゴともパヴァロッティとも共演した唯一のソプラノですよね?二人と共演して、その違いはありましたか?」という質問に対しての答えが興味深い。
「どちらも素晴らしいアーティスト。でも全くタイプの違う。あえて言えば、ドミンゴとのほうが、楽しかったわ。作品のせいもあるけど(ワルキューレ)、彼は全力を尽くすのよ。」
そして
「ルチーアーノは、いつも距離おくの。2回目の共演なのによ。」
パヴァロッティとの共演作品は、ヴェルディの『仮面舞踏会』だった。
「ルチーアーノとの共演はね、いつも『ザ・ルチーアーノショー』なの。でも、彼の状況(スターダムとそのプレッシャー)は、私には想像を絶するものだから…」
と答えている。
特に興味深いのは、インタビュアーが「でも、あなたにも似たような状況の日が、来るかもしれませんよ。」の問いに、、、
「そうは思わないわ。私は、自分がこの仕事を愛せていない時には、もう続けてないと思うの。ルチアーノは、もう愛してないと思う。歌うことや、スタジアム(でのコンサート)は愛してるんだろうけど。(オペラの)舞台に立って、色んなこと(高音がでるかでないか?)、周囲のことも考えるなんて、もう愛してないと思うわ。」と。
インタビュアーの意味する「似たような状況」は、スターダム、成功
でもデボラは、「似たような状況」を、
「愛してない仕事をする自分の姿」、という「状況」だったんでしょうね。
高音が出なかったり、声が途中で割れたり、呼吸が回らずテンポが速くなったり。
勢いで押してるだけの歌唱…
色んな酷評を投げながらも、でもオペラファンは、オペラシンガーとしてのパヴァロッティをオペラの劇中で観たい聴きたい。
そんな中でのプレッシャー。
ドミンゴとデボラ・ボイト Soprano Deborah Voight as Amelia w. tenor Luciano Pavarotti as Riccardo in Verdi’s Un Ballo in Maschera on stage at the Metropolitan Opera. (Photo by Johan Elbers/The LIFE Images Collection via Getty Images/Getty Images)
本ドキュメンタリーでは、パヴァロッティがオペラの舞台から、スタジアムで3大テノールのコンサートツアーをしたり、パヴァロッティ&フレンズを開催し始めた経由は語っていたけれど… 結構さらっと、表面的。
でも、それを深く描くには、ある程度のオペラの知識も必要なのかも。
そうすると、パヴァロッティの一番の功績である、「オペラを多くの人々に紹介する」というタスクは、かなえられなかったんでしょうね。
…とここまで書いてみて、ふと思ったんだけど、
オペラシンガーって、体が楽器でしょ?
普段の生活すべてが声に影響する。
普段の健康管理、食生活、メンタル…
そうすると、シンガーとしてのパヴァロッティと、一人の人間としてのパヴァロッティって、どこで切れるんだろう??
やっぱり、正直物足りない(;^ω^)
さて、新聞の批評を調べてみると大多数が好意的。(NYタイムス)
でも、不満の声もチラホラ。(オペラ通のNPRの批評はよくない)
私は、ボノが出てきて、ガタガタ言い始めた途端にスーッと冷めました(笑)
監督のロン・ハワードは、特にパヴァロッティファンでも、オペラファンでもない。
“有名”で“成功”している言われるオペラシンガーでも、オペラファン以外には、実際、一握りの人々にしか知られていない。
知名度はハリウッドの俳優さんに比べたり、ロックスターに比べたらドーンと低い。
そんな特殊な職業(オペラ歌手)でありながら、パヴァロッティは、ジャンルを超えて大成功し、この職業ではかつてないような経済的な成功を得た。
確かに興味深いのでしょうね、監督には。
でも、このドキュメンタリーは、言葉に表されずとも、オペラの威力を観客に伝えてくれる。
それは、パヴァロッティのストーリーが興味深い、云々じゃなくて、
画面で何を見せていても、バックグランドに流れる音楽(オペラ)が、胸を締め付けて、なぜだか涙腺をゆるませちゃう。
音楽の威力
オペラの威力
そして、青空を彷彿させる歌声をもったパヴァロッティの声の魅力。
そういえば、通勤中(運転中)のラジオで、パヴァロッティの訃報を知った2007年9月7日の朝。
彼の故郷のモデナで、すい臓がんで亡くなったと。
そのニュースの後に、ラジオから流れる「Nesseun Dorma」。
ぜーんぜん悲しい歌じゃないのに、青空に吸い込まれるような気持になって、涙が止まりませんでした。
オペラの威力、声の威力を知りたい方は、是非見てください。
日本ではいつ上映されるんだろう。。。?
ご存じの方お知らせください☺
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